周南クラブ TOPICS |
周南クラブを卒団した生徒や関わった人の話題を提供しています。月に一度いろいろなテーマで掲載しています。5月は周南クラブ卒団生で創価大学の原未来君を紹介します。
氏名をクリックしてください。
平成28年 | ||||||||
5月 | 近間謙一 | 6月 | 福山史 | 中田舞音 |
7月 |
山田夏輝 | 末藤将祐 | |
8月 | 堀家拓馬 | 田中來人 | 9月 | 河村竜 | 古森翔 | 10月 | 高橋祐稀 | 原村百那 |
11月 |
福永大輔 | 小林由聖 | 12月 | 藤谷洸介 | ||||
平成29年 | ||||||||
1月 | 藤本大輔 | 岡部莉久 | 2月 | 岡 直人 | 森山哲成 | 3月 | 山門健人 | 弘 晃輔 |
4月 | 篠原秀 | 山崎大輔 | 5月 | 宮木 蓮 | 河内信穏 | 6月 | 長谷川晃大 | 寶木克樹 |
7月 | 金田将弥 | 藤谷勇介 |
8月 |
山本尚輝 | 村川天音 |
9月 |
浅田敦史 | 津村航輝 |
10月 | 岸村祥太郎 |
11月 |
廣本 岳 | 山本真由 | 12月 | 中村祐輝 |
平成30年 |
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1月 | 五嶋文弥 | 2月 | 山本一輝 | 藤井敬大 | 3月 | 福田聖晟 |
4月 | 河内健貴 | 5月 | 永冨大輔 | 6月 | 磯村飛鷹 |
7月 | 有井大芽 | 8月 | 高松政治 | 9月 | |
10月 | 吉冨壮哉 | 11月 | 中谷泰聡 | 12月 | 兼平陽生 |
平成31年・令和元年
1月 | 磯村拓未 | 2月 | 原田裕介 | 3月 | 村上大地 |
4月 | 上野聖哉 | 5月 | 六郎万 翔 | 6月 | 上河内 景太 |
7月 | 三森力也 | 8月 | 吉武郁哉 | 9月 | 原田大成 |
10月 | 北村咲希 | 11月 | 藤井陸矢 |
12月 |
竹本圭吾 |
令和2年
1月 | 松岡幹也 | 2月 | 村川貴音 | 3月 | 渡邉昂ェ |
4月 |
福田子龍 |
5月 | 原田陽太 | 6月 | 村木龍真 |
7月 | 田村智輝 | 8月 | 小野滉平 | 9月 | 田中啓太 |
10月 | 藤井滉太 | 11月 | 上中正琉 |
12月 |
北村 祥 |
令和3年
1月 | 中野 淳 | 2月 | 羽野紀希 | 3月 | 米野雄大 |
4月 | 高松佑樹 | 5月 | 石崎優一 | 6月 | 宮川広太郎 |
7月 | 田中颯真 | 8月 | 木虹汰 | 9月 | 八木 皓紀 |
10月 | 西村栞太 | 11月 | 渡辺 楓也 |
12月 |
河村 真斗 |
令和4年
1月 | 魚谷俊輔 | 2月 | 岡松大暉 | 3月 | 森谷 葵 |
4月 | 三浦 拓登 | 5月 | 原 未来 | 6月 |
R4.5月 TOPICS |
原 未来(はら みらい)
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『周南クラブで学んだこと』 原 未来
私は周南クラブに入り、技術の向上だけでなくチームとしてのまとまりの大切さについて学びました。私が初めて周南クラブの試合を観に行った際、試合に出ている選手だけでなく、ベンチメンバーも全力疾走・全員野球を完璧に行っているのを目の当たりにして、ここで野球をしたら必ず高校野球、これからの人生に繋がる良い経験となる!と思い、入部することを決意しました。 |
R4.4月 TOPICS |
三浦 拓登(みうら たくと)
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『周南クラブで学んだこと』 私は、中学校から野球を始めて、二年生の夏にセレクションを受け、周南クラブに入りました。
周南クラブでは、野球の技術だけでなく、チーム全員で戦うことを学び、バット引きやコーチャーなどのベンチワークも全力で行ない、静岡での全国大会にも出場でき、大変良い経験をさせて頂きました。 |
R4.3月 TOPICS |
森谷 葵(もりたに あおい)
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後列一番右
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左から4人目
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前列一番右
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『周南クラブで学んだこと』 |
R4.2月 TOPICS |
岡松大暉(おかまつ だいき)
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『周南クラブで学んだこと』 |
R4.1月 TOPICS |
魚谷俊輔(うおたに しゅんすけ)
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『周南クラブで学んだこと』 |
R3.12月 TOPICS |
河村 真斗(かわむら なおと)
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『周南クラブで学んだこと』 私が周南クラブで学んだことは考動力です。私は、周南クラブに入る前は試合のポイントなどが分かっておらず試合でチームに迷惑をかけてしまうことがありました。周南クラブで色々なことを経験させていただくなか、「考動力」が身につき試合の流れを大事に考えてプレーするようになりました。また、長野先生をはじめとするコーチ、先生の皆様には野球の技術だけではなく野球に対する姿勢、周りへの感謝、人としての在り方などたくさんのことを教えていただきました。これからも周南クラブで学んだことを生かせるように頑張りたいと思います。 |
R3.11月 TOPICS |
渡辺 楓也
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『周南クラブで学んだこと 私は、周南クラブで野球の技術だけでなく野球に対する姿勢、人としての在り方など、沢山の事を教えていただきました。特に、私は全力疾走で成り上がったと言っても過言ではありません。何事も全力で取り組むことで何かを掴む事が出来ると教えていただいたのもこの周南クラブです。長野先生、指導者の方々、両親には心から感謝しています。野球も終わり、就職も決まりましたので、これからは周南クラブで学んだ経験を活かし、何事にも全力で頑張りたいと思います。 |
R3.10月 TOPICS |
西村栞太(にしむら かんた)
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『周南クラブで学んだこと 僕は周南クラブで技術を向上させることができましたが、それよりも人間性を良くすることができました。長野先生には常に「周りの人達の支えがあるから今の自分がいる」と言われ感謝の気持ちを持って野球を続けてきました。高校生になると周南クラブで言われてきた事がとても大事なことなのだと思いました。大学でも野球を続けるので周りに感謝して、謙虚な気持ちを持って次のステージで頑張りたいと思います。 |
R3.9月 TOPICS |
八木 皓紀(やぎこうき)
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最前列賞状を持っているのが八木選手
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『周南クラブで学んだこと
野球を通して、全ての物事を楽しんで行うということを学びました。特に周南クラブでは、全力で取り組むこと、考動力を学びました。周南クラブでは、キャッチャーで加入しましたが、サードやセカンドも経験しました。体も小さく、走るのもあまり速くなかった私は、周南クラブの試合ではスタメンで出場したことは殆どありませんでしたが、一緒に加入した仲間たちと全力で野球を楽しむことで、代打のチャンスをいただいて出場し、良い結果を出せたこともありました。こうして野球がますます楽しくなりました。楽しむことで辛いこともプラスに捉えて成長に繋がっていったと思います。 |
R3.8月 TOPICS |
木虹汰(たかぎこうた)
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『周南クラブで学んだこと
私は、周南クラブに入り、何事にも欲を持ち、努力する大切さを学びました。須々万中学校の時は毎試合出場するのが当たり前で、天狗になっている部分もありました。しかし、周南クラブに行くと、試合すら出ることも出来ず、ただひたすらに悔しい時間がすぎていきました。中2の秋に全国大会が決まり、まずは、全国大会でエースとして先発しようと思い、トレーニングを積んで来ました。私は、長野先生に努力した事など1度も言っていないにもかかわらず、「努力したんなら、結果出てこい」と言われたことを覚えています。そして、全国大会で先発することが出来ました。なので私は努力は本当に裏切らないなと実感出来ました。 |
R3.7月 TOPICS |
田中颯真(たなか そうま)
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前列左から3番
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前列一番右
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前列右から2番目
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『周南クラブで学んだこと 何事にも「平常心」の心をもって取り組むことです。 |
R3.6月 TOPICS |
宮川広太郎(みやかわ こうたろう)
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『周南クラブで学んだこと』 私は周南クラブに入り、意識の高い仲間たちと切磋琢磨する中で、 |
R3.5月 TOPICS |
石崎優一(いしざき ゆういち)
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後列右から三番目
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最後列右から2番目 |
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『周南クラブでまなんだこと』 周南クラブで学んだことは何事も全力で行うということです。 |
R3.4月 TOPICS |
高松佑樹(たかまつ ゆうき)
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後列 白のユニホーム |
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『周南クラブでまなんだこと』 自分はもともと野球が大好きというほどではなかったのですが、周南クラブでプレーすることによって考えて行動する「考動力」が身につき日頃していなかった自主練習なども高校に入ってすることが増え野球に対する向き合い方が変わりました。今はコロナ禍でなかなか活動することができていませんが今できることを考えて行動できるように頑張りたいと思います。 |
R3.2月 TOPICS |
米野悠大(めの ゆうだい)
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後列右端 |
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後列右から2番目
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2列目右 端 |
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『周南クラブでまなんだこと』 私は、小学校3年生から野球を始めました。そして、レベルの高い選手と野球をし、上手くなりたいと思いセレクションを受けました。周南クラブでの活動を通して、野球の楽しさや、学校生活を正しく送る大切さを学びました。また、周南クラブの仲間と出会い、野球が出来たことは一生の財産です。 |
R3.2月 TOPICS |
羽野紀希 (はの かずき)
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最後列右から3番目
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『周南クラブでまなんだこと』 僕が周南クラブに入って学んだことはたくさんありました。 |
R3.1月 TOPICS |
中野 淳(なかの じゅん)
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岐山小学校 右から4番目
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岐陽中学校 3列左から2番目 |
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周南クラブ
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桜ヶ丘高校 |
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『周南クラブで学んだこと』 ・私は周南クラブに入団させていただいて、野球の技術向上の事はもちろんですが、 |
R2.12月 TOPICS |
北 村 祥(きたむら あきら)
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後列一番左 |
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2列目の右から5番目
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3列目の左から2番目
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2列目の右から2番目(黄色Tシャツ)
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『周南クラブで学んだこと』 私は、周南クラブに入ってたくさんの試合を経験していくなかで試合の流れを考えてプレーすることができ、高校野球でも活かすことができました。また、高校野球ではレベルの高い選手がたくさんいる中で切磋琢磨することができとても良い経験をさせていただきました。野球は、日頃の生活がプレーにでてしまうということを学び、今でも自分に任された役割は最後まで取り組むようにしています。そのおかげで粘り強くプレーすることができました。周南クラブで学んだことは今後の生活に活かしていきたいと思います。
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R2.11月 TOPICS |
上中 正琉(かみなか せいりゅう)
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後列左から3番目
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後列右から2番目
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『周南クラブで学んだこと』 私は各学校のレベルの高い選手と一緒に野球がしたく周南クラブに入りました。 |
R2.10月 TOPICS |
藤井 滉太(ふじい こうた)
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前列左から2番目
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後列右から3番目
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徳山商工高校 前列右から8番目 |
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『周南クラブで学んだこと』 私は小中学校ともに少人数でなかなか満足のいく練習が出来ていませんでしたが、周南クラブに |
R2.9月 TOPICS |
田中 啓太(たなか けいた)
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小学校 中学校
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前列右から2番目 |
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前列右から3番目 |
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高 校
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『周南クラブで学んだこと』 自分が周南選抜で学んだ事は、自分の役割を知ることが出来た事です。 |
R2.8月 TOPICS |
小野 滉平(おの こうへい)
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前列左端
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須々万中時代 |
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華陵高校 |
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『周南クラブで学んだこと』 私は、周南クラブに在籍して中学校の部活動ではなかなか体験できない質の高い練習や試合を肌で実感できました。ケガもあり、試合にでることは少なかったですが、長野先生をはじめとするコーチ、先生の皆さんには技術的な指導だけではなく、声の出し方や試合での重要な場面、流れなども教えていただきました。これらの経験は高校野球でもとても役に立ちました。
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R2.7月 TOPICS |
田村智輝(たむら さとき)
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2列目右端 |
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後列左端 |
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前列左から2番目 |
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『周南クラブで学んだこと』 私は追加セレクションでの入団で、周南クラブには5ヶ月間の在籍でした。 |
R2.6月 TOPICS |
村木 龍真(むらき りゅうま)
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前列の右から2番目 | ||||||
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『周南クラブで学んだこと』 私は周南クラブに入って良い経験ができ良かったと今でも思います。 |
R2.5月 TOPICS |
原田 陽太(はらだ ようた)
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周南ホークス
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周南クラブ
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周陽中学校 後列の左から3番目(秋季県体3位)
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ミレニアム大会
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全国大会 2列目長野監督の右隣
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『周南クラブで学んだこと』 僕が周南クラブで学んだことは自分の意志を持つことの大切さです。周南クラブに入ってから、友達に流されることが無くなり自分の意志で行動ができるようになりました。これは、周南クラブの「考動力」が身についたためと思います。 高校野球に向けて |
R2.4月 TOPICS |
福田 子龍(ふくだ しりゅう)
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『周南クラブで学んだこと』 周南クラブで学んだことは、試合に出ている9人だけでは勝てないということです。 |
R2.3月 TOPICS |
渡邉昂ェ(たかひろ)
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R2.2月 TOPICS |
村川貴音 (むらかわ たかなり)
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『周南クラブで学んだこと』 自分が周南クラブで学んだこととして、人と能力を比べる時「ここが他人に劣っている」と考えるのではなく、「他人よりここが勝っている」と考えれる力を身につけました。 |
R2.1月 TOPICS |
松岡 幹也 (まつおか みきや)
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左から4番目
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左から3番目
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最後列右から3番目
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『長野先生との出会いと周南クラブ』 「弟たちを頼むぞ、松岡!!」8月の暑いあの日、長野先生におっしゃられてから1年、 |
R1.12月 TOPICS |
竹本 圭吾(たけもと けいご)
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『周南クラブで学んだこと』 |
R1.11月 TOPICS |
藤井 陸矢( ふじい りくや)
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『周南クラブで学んだこと』
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R1.10月 TOPICS |
北村咲希 ( きたむら さき)
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『周南クラブで学んだこと』
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R1.9月 TOPICS |
原田 大成( はらだ たいせい)
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2列目右端が原田選手
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『周南クラブで学んだこと』
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R1.8月 TOPICS |
吉武 郁哉( よしたけ ふみや)
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『周南クラブで学んだこと』
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R1.7月 TOPICS |
三森 力也( みもり りきや)
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『 周南クラブで学んだこと』 私は、周南クラブで学んだことがあります。 |
R1.1.6月 TOPICS |
上河内 景太 ( かみごうち けいた)
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1列目右端
左 左端
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『 周南クラブで学んだこと』
私は野球を通じて、沢山の方々にお会いし、教えられ、学び、大変お世話になっています。周南クラブに出会えたことで、野球の技術は勿論ですが、地元の素晴らしい技術を持った友人達と切磋琢磨する強い心、そして何より関わりを持たせて頂いた方への感謝する心の大切さを学ぶ事が出来ました。
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R1.1.5月 TOPICS |
六郎万 翔 ( ろくろうまん かける)
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『 周南クラブで学んだこと』 私は、現在新南陽高校野球部でキャプテンをさせていただいています。
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H31.4月 TOPICS |
上野 聖哉( うえの せいや)
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前列左から2番目
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最前列右から2番目
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『 周南クラブで学んだこと』
自分は周南クラブに入って本当の野球の楽しさを知る事が出来ました。
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H31.3月 TOPICS |
村上 大地( むらかみ だいち)
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『 周南クラブで学んだこと』 私は野球を通してたくさんの人たちに出会い、お世話になってきました。
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H31.2月 TOPICS |
原田 裕介( はらだ ゆうすけ)
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2列目賞状の上中腰になっているのが原田さん
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最後列右から3番目が原田さん
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『 周南クラブで学んだこと』
「選抜チームのメンバーに選ばれた!」当時の中学校の野球部顧問より報告を受け、晴れて徳山クラブ(現 周南クラブ)の一員になることができました。その瞬間から今まで少年野球時代からずっとライバル関係だった他の中学校の選手と一緒のチームで野球をすることになりました。初めての練習日、紅白戦で投手として出場し秋月中の福山君(後に南陽工業に進み甲子園出場)とバッテリーを組むことになりました。「構えもどっしりしており捕球してからのテンポもよい。こんなに投げやすいキャッチャーがいるのだなあ!」という印象を持ちました。中学校という狭い世界で生きている当時中学生の自分にとって、一気に世界が広がったように感じたことを今でも覚えています。その後何度も一緒に練習していくうちに今まで話したこともなかった他の選手とも仲良くなることができ、その経験は後の高校野球や、社会人になってからの仕事にも生きているのではないかと思います。またこの時のチームは県大会で優勝することができ、その決勝戦で投手として出場させていただいたことは私の中では今でも自信と誇りとなっています。私の野球人生は高校野球まででしたが、今でも草野球や母校への練習の手伝いなどを通じて野球と携わらせていただいています。
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H31.1月 TOPICS |
磯村 拓未( いそむら たくみ)
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『 周南クラブで学んだこと』
当時の中学校の監督にセレクションを受けるように言われたのがキッカケでした。周南クラブに入団し、市内で実力のあるライバルとチームを組むことは刺激的でした。目指す目標を定め、それぞれの役割を担い自覚し、チームとしての形を作っていく、とても難しいことです。短い練習時間でいかに高め合えるか、考えて野球をしたことを思い出します。野球の楽しさはもちろん、考え、追求していくことを覚え、野球をする上での視野が広がりました。恵まれた環境で、指導者、両親の協力あって貴重な経験をしました。学んだことは多くありますが、一番は何不自由なく野球に打ち込めたことへ感謝しています。
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H30.12月 TOPICS |
兼平 陽生(かねひら はるき)
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最後列 右から4番目が兼平選手
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『 周南クラブで学んだこと』 |
H30.11月 TOPICS |
中谷 泰聡 (なかたに たいと)
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最前列賞状を持っているのが中谷君
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県旗を持って行進しているのが中谷君
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最前列中央が中谷君
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『1年間 周南クラブで学んだこと』 僕は、周南クラブ第9期のキャプテンとして入団しました。初めの頃は思うように指示が出せず、チームをまとめることができなく て、悩む日々が多かったですが、練習や試合を重ねるにつれ、仲間との信頼関係も築けて一緒に野球をすることが楽しくなりま した。その結果多くの試合に勝つことが出来ました。振り返れば、本当に最高のチームで活動できたと思います。 この一年、長野先生をはじめ多くの指導者の方々に、野球の技術はもちろん、技術では補えないチームワークの大切さ、試合 で活躍することよりも大事な態度や礼儀を学び、心身ともに大きく成長することができました。中国大会、全国大会出場、その他 多くの遠征で得た貴重な経験は、自分を次のステージに進めてくれる力になり、これからも自分の支えになってくれると思いま す。 長野先生をはじめ指導者の方々、支えてくれた家族、保護者の方々、地域の方々、野球関係者に感謝し、これまで野球ができ たこと、周南クラブで学んだことを忘れず、これから少しでも恩返しができるように努力していきたいです。 第9期周南クラブ主将
富田中学校 中谷泰聡 |
H30.10月 TOPICS |
吉冨 壮哉(よしとみ そうや)
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前列左から3番目
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《周南クラブで学んだこと》
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H30.9月 TOPICS |
山片 啓矢 (やまかた けいや)
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《周南クラブで学んだこと》
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H30.8月 TOPICS |
高松 政治 (たかまつ まさじ)
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高松 政治
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H30.7月 TOPICS |
有井 大芽 (ありい たいが)
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前列右から5番目
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2列目左より2番目(長野先生の横)
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前列中央で鶴を持っているのが有井選手
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有井 大芽
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H30.6月 TOPICS |
磯村飛鷹 (いそむら ひだか)
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H30.5月 TOPICS |
永冨 大輔 (ながとみ だいすけ)
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H30.4月 TOPICS |
河内 健貴( こうち たつき )
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前列右から4番目
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後列右から5番目
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H30.3月 TOPICS |
福田聖晟( ふくだ きよあき )
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周南クラブ第 2期 2列目左から2番目
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南陽工業高時代
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【周南クラブで学んだこと】 |
H30.2月 TOPICS |
山本一輝( やまもと かずき )
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〜学んだこと〜 |
藤井敬 大( ふじい けいた )
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『周南クラブから得たもの』 周南クラブでは、野球の技術だけではなく、挨拶や礼儀など野球以外のことができました。また、色んな選手たちと一緒にプレーできてとても良い経験をさせていただきました。 私は、周南クラブに在籍していた時は試合に出場する機会があまりなかったので、その時は「ベンチで声出し」「グランド整備」など野球をする上で大事なことを指導者の方にたくさん教えていただきました。また、恵まれた環境で出来たことや練習の送り迎えをしてくれた親への感謝を改めて感じることができました。 『これから』 野球をすることがなくなりますが「考動」を胸に野球から学んだことをこれから大事にして社会に貢献していきたいと思います。
藤井敬大 |
H30.1月 TOPICS |
五嶋 文弥 (ごとう ふみや )
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〈主将として…〉
五嶋
文弥 |
中村祐輝( なかむら ゆうき )
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小学校→2列目右から3番目
周南クラブ→3列目左から2番目
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高校→1列目右から2番目
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『野球をしている今が、大人の今を支える』 |
H29.11月 TOPICS |
廣本 岳 ( ひろもと がく )
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『1年間を振り返って 〜周南クラブで学んだこと〜』 |
山本真由( やまもと まゆ )
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【周南クラブで学んだこと】
私は野球をしている兄の影響で中学校から野球を始めました。周南クラブには、野球を始めて三か月の時からお世話になりました。その時の私にとっては、全てが初めてで、緊張と不安な気持ちでいっぱいでしたが、多くの方々に支えられ、たくさんのことを学ぶことができました。そして野球をしていくうちに、憧れだった野球がどんどん好きになっていきました。こう思えるのも指導して下さった先生方、チームメイト、そして野球をやらせてくれた両親の存在があったからです。野球を通してたくさんの人と出会い刺激を受けながら大好きな野球を出来たことが本当に幸せです。本当に感謝しています。これからは、何かの形で野球に携わり、周南クラブで学んだことを生かして野球をしている人の支えになれるように日々励んでいきたいと思います。
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H29.10月 TOPICS |
岸村祥太郎( きしむら しょうたろう ) 社会人野球ツネイシブルーパイレーツコーチ兼外野手
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後列右端岸村選手 |
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最前列右から3番目岸村選手
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先頭の右側岸村選手 |
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3列目左端岸村選手 |
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右端岸村選手
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【周南クラブで学んだこと】 周南クラブ(当時は徳山クラブ)では特に野球の楽しさを学ばせていただきました。中学時代は決して強いチームではありませんでしたが勝ったり負けたりと純粋に野球を楽しんでいました。徳山クラブに召集されてからは、今まで闘ってきたライバルたちと一時的ではあるが一緒のチーム。とてもワクワクしたのを覚えています。そんな徳山地区中学オールスターのようなチームでも全国大会には行けず、負けることもあるんだと野球の深さを知り、同時により野球の魅力、楽しさに気づけました。
【後輩に伝えたい事】
岸村 祥太郎 |
H29.9月 TOPICS |
浅田敦史( あさだ あつし ) 新南陽高校 硬式野球部 キャプテン
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【周南クラブで学んだこと】
私の野球人生は小学1年から高校3年夏までの約11年間でした。1番印象に残っている年は高校最後の1年間です。新南陽高校の主将を務めさせてもらいました。チームをまとめることの大変さを実感したり、チームが勝つためにどうしたら良いのかを考える日々が多かったです。チームが良い方向に進むためには時には自分を犠牲にしなくてはならないことを学びました。 浅田 敦史 |
津村航輝 ( つむら こうき) 徳山高専 硬式野球部 キャプテン
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【周南クラブでの経験】 |
H29.8月 TOPICS |
山本尚輝( やまもと しょうき) 周南市立富田中学校 軟式野球部(キャプテン 捕手)
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周南クラブ8期のメンバー
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【周南クラブで学んだこと】
周南クラブに入り、野球のことだけではなく、礼儀やあいさつなど生活面でも多くの事を学びました。また、自分と同じポジションの選手を見て、動きや指示の出し方等、自分の出来ていないところを学び、刺激を受けました。学校の部活動では出来ないような経験をたくさんさせていただきました。色々な面で成長できたように思います。周南クラブで学んだことを忘れず、今後に生かしていきたいです。 目標だった選手権大会出場を3年連続で決めることができ、とても嬉しく思います。予選で優勝できたのは、これまで指導してくださった先生方や応援してくださる皆さんのおかげだと思っています。とても感謝しています。僕は、この富田・鼓南中学校のメンバーが大好きです。この仲間と野球が出来るのもあとわずかです。選手権大会に向けてさらにチームワークを高め、チーム一丸となって頑張りたいです。そして、キャプテンとしてチームのために何が出来るか考えて行動しようと思います。今まで学んできたことをすべて出し切り、悔いが残らない試合をして、中国大会出場を目指したいです。
山本尚輝 |
村川天音 ( むらかわ ひろと) 周南市立秋月中学校 軟式野球部(キャプテン 捕手)
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周南クラブに入って学んだ事】 |
H29.7月TOPICS |
金田 将弥( かねだ しょうや) 山口県立徳山高等学校 硬式野球部(投手)
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【周南クラブでの経験】 |
藤谷 勇介 ( ふじたに ゆうすけ) 延岡学園高等学校 硬式野球部(投手)
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【
周南クラブを経験して】 |
H29.6月TOPICS |
長谷川 晃大( はせがわ こうた) 山口県立光高等学校 硬式野球部
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【周南クラブで学んだこと】 |
寶木 克樹( たからぎ かつき) 山口県立南陽工業高校 硬式野球部(内外野手、投手)
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【周南クラブを経験して】 |
H29.5月TOPICS |
宮木 蓮( みやぎ れん) 山口県立南陽工業高等学校 硬式野球部
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【今まで…】 |
河内 信穏( こうち しおん) 山口県立光高等学校 硬式野球部
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太華中時代
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周南クラブ時代 |
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【周南クラブでの経験】 光高校 河内 信穏 |
4月TOPICS |
山崎大輔( やまさき だいすけ) 南陽工業高卒 硬式野球部 九州共立大学進学 硬式野球部入部予定
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周南クラブ時代
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な
南陽工業高時代 |
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【周南クラブから学んだもの】 僕は、これまで野球をやってきて、学んだことがあります。それは、力が無くても、下手くそでも、結果が出なくても、夢や目標を一心に追いかけることが大切だということです。そうすれば、自然と周りには同じ夢を持った人が集まってきて、自分の力になってくれます。特に僕は、これまでの指導者やチームメイトには本当に恵まれていたと感じています。周南クラブも、その出会いができる場だと思います。これからも野球をさらに深く勉強していき、出会いを大切にしていきます!
僕は、中学校の卒業式の日に、仲間に「南陽工に行って甲子園に出ます。その時には応援に来て下さいと言いました。そして、本当にたくさんの仲間や、周南クラブでお世話になった方々等に応援をして頂きました。
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篠原秀平( しのはら しゅうへい) 徳山高校卒 硬式野球部 山口大学医学部医学科進学 医学部準硬式野球部入部予定
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卒業式後に徳山高校野球部全員で撮った写真
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富田中時代
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周南クラブ時代 |
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徳山高校時代
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【周南クラブを経験して】
篠原秀平 |
3月TOPICS |
弘 晃輔( ひろ こうすけ) 岡山大学1回生硬式野球部
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2列目右端が弘選手
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福川中時代
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周南クラブ時代 |
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徳山高校時代
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現在 岡山大学野球部 |
【周南クラブを経験して】 |
山門健人( やまかどけんと) 徳山 高専 専攻科1回生
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前列右から3番目が山門選手
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【周南クラブでの経験】
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2月TOPICS |
森山哲成( もりやま てつなり) 徳山 高専5回生硬式野球部キャプテン
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最前列 中央トロフィを持っているのが森山選手 右から2番目が岡選手
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【小・中学を振り返り】
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岡 直人(おか なおと) 徳山大学硬式野球部2年
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太華中時代
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周南クラブ時代 |
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徳山商工時代 |
徳山商工時代 |
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徳山大学
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【成人式を迎えて】
今年、私は成人式を迎えました。 |
藤本大輔(ふじもと だいすけ) 山口県立南陽工業高等学校硬式野球部
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周南クラブ時代 |
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南陽工業 |
南陽工業 |
【周南クラブで学んだこと】 私は、徳山大学に進学し、野球を続けます。そこでは新しいことばかりで不安が多いですが、周南クラブで学んだ「仲間を大切にすること」「先生の言葉を大切にすること」を続けていきます。そして、野球では全国大会へ出場できるように、学業では社会福祉士の資格を取ることができるように、日々を大切に頑張ります
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岡部莉久(おかべ りく) 徳山高専3年 硬式野球部
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周南クラブ時代 |
岐陽中 時代 |
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徳山高専 |
徳山高専 |
【周南クラブとの出会い】 |
藤谷洸介(ふじたに こうすけ) パナソニック 投手 祝 阪神ドラフト8位指名
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福永大輔( ふくなが だいすけ) 徳山商工高等学校野球部2年(二塁手)
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最後列右から6番目が福永選手 |
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【周南クラブで学んだこと】 周南クラブでは野球の技術だけではなく、挨拶などの野球以外のこともしっかりと学ぶことができ、且つ、高いレベルの選手たちと一緒にプレーできて、とても良い経験をさせてもらったと思います。 私は周南クラブに入った当初は、試合に出場する機会があまりなかったのですが、その時期に、『ベンチワークの大切さ』、『声を出すこと』、『グランド整備』、『感謝の気持ちを忘れないこと』等野球をする上で大事なことを指導者の方々にたくさん教えていただきました。今の自分があるのは、中学校の野球部だけでは経験できないことを、周南クラブに入ったことにより、たくさん経験ができた からだと思い、本当に感謝しています。 現在、周南クラブでプレーしている選手の皆さんには、ここで学ぶことは今後野球を続けるうえで大切なことばかりなので、今を大切に過ごしてほしいと思います。 【中国大会に向けて】 山口県の代表として恥ずかしくないような試合がしたいです。そして、一試合でも多く勝ち、徳山商工の新しい歴史を築いていきたいです。
福永大輔 |
小林由聖( こばやし ゆうせい) 華陵高等学校野球部1年(投手)
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最前列左から2番目が小林選手 |
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【周南クラブで学んだこと】
【中国大会に向けて】 |
10月TOPICS |
高橋祐稀( たかはし ゆうき) 周南市立岐陽中学校3年 軟式野球部キャプテン
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前列左から6番目が高橋君、後列右から2番目が原村さん | |||||||||||||||
【この一年を振り返って】 |
原村百那( はらむら ももな) 周南市立和田中学校3年
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最前列左から4番目が高橋君、右から2番目が原村さん | |||||||
【一年間を振り返って】
そして、私が野球を続けられたのは、監督、コーチ、チームメイト、両親のサポートがあったからこそと感謝してます。両親は忙しくても、送迎や応援をしてくれました。
原村百那 |
9月TOPICS |
河村竜也(かわむら たつや) 山口県立防府高校3年 野球部 キャプテン
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2列目右から5番目が河村選手 | ||||||||||||
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『周南クラブを経験して』
私は、周南クラブに選んで頂いたうえ、副キャプテンという役も頂き大変貴重な経験をさせていただきました。選抜チームで副キャプテンという責任のある立場になって、最初は不安でいっぱいでしたが、最後には自分らしい背中で引っ張る副キャプテン像を築くことができたと思っています。その経験のおかげで、防府高校ではキャプテンとして自信をもってチームを引っ張ることが出来ました。今では、副キャプテンに指名して頂いたことに感謝しています。
河村竜也 |
古森翔吾(こもり しょうご) 徳山高専3年 野球部 キャプテン
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2列目左から3番目が古森選手 |
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『周南クラブを経験して』
中学校の部活では味わえないレベルの高い環境で野球ができる周南クラブは、私に向上心を与えてくれました。周南クラブ内で目標の選手がいて、ライバルがいて、とても恵まれた環境だったと思います。
古森翔吾 |
堀家 拓馬(ほりけ たくま) 東京都小金井市立小金井第二中学校教諭
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周南クラブ当時の写真 2列目中央が堀家選手 |
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新南陽高校在籍時(1列目中央右が堀家選手)
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日本体育大学在籍時(2列目右から2番目が堀家選手)
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大学野球審判時の写真 |
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『野球が人をつくる』
『周南クラブ』で野球がしたい。市の選抜チーム。ナイターでの球場練習。遠征。中学校野球であるにも関わらず、すばらしい環境で野球ができることに憧れを抱いていました。長野功先生が総監督を務められていることも大きな励みとなりました。(長野先生は私が福川中学校に入学した時に赴任してこられました。) 堀家 拓馬 |
田中 來人(たなか らいと) 福岡 天神医療リハビリ専門学校理学療法学科
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『周南クラブから学んだこと周南クラブでの出会い』
周南クラブでは、野球の技術とともに、挨拶や規律といった野球以外のところでの学びが多くありました。野球以外の当たり前のことを当たり前に行うことが、野球人としての成長と技術の向上につながると気づかせていただきました。 田中 來人
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山田 夏輝(やまだ なつき) 山口県立新南陽高校3年 野球部 キャプテン
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中央で賞状をもっているのが山田選手 2列目右から3番目が末藤選手 |
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『周南クラブでの出会い』
南陽工業 山崎君 徳山高専 古森君 新南陽 山田君 徳山商工 中村君 防府 河村君 華陵 新本君 |
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末藤 将祐 ( すえとう まさひろ) 山口県立 岩国総合高校3年 野球部 キャプテン
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『周南クラブでの経験を生かして』 私は現在、岩国総合高校野球部でキャプテンをさせていただいています。 周南クラブでの経験は、自分の今までの野球人生の中で貴重なものだったと思います。他のチームの人たちと野球をすることで、視野が広がり高いレベルでプレーできたと思います。周南クラブでチームメイトだった人の活躍を聞くと負けられないなと思います。 周南クラブで現在プレーしている人たちは、とても貴重な経験をしていると思います。指導者の方々の助言を大切にして、自分のもにしてほしいと思います。 この夏の大会では、目の前の一戦一戦に全力を注ぎます。
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福山 史(ふくやま しろう)
卒団生徳山クラブ(第2期)キャプテン(現在 山口県立徳山商工教諭)
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最前列左から5番目賞状をもっているのが福山選手 |
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《周南クラブから学んだ事》 “甲子園に必ず出る&ス成9年徳山市の学校から20名の選出で始まった徳山クラブを経験して1番に私が感じた事です。何年後かに迫る高校野球を漠然としか考えていなかった私が南陽工業高校を選び、本気で甲子園に行きたいと決めさせてくれた時間でした。 今でも思い出す選抜チーム練習初日。徳山球場(現津田恒実メモリアルS)に集合しナイター練習。紅白戦をしました。ズバ℃рェ構えたミットに素晴らしい球がくるのです。 よし、この球で打ち取れるカーン♀ョ璧に打たれるのです。緊張感、レベルの高さ、今までに感じた事のない野球に対する感情が生まれました。上手くなりたい、ライバルに負けたくない、長野監督率いるこの素晴らしいチームで全国大会に行きたい。楽しくてしかたがありませんでした。山口県大会を優勝し中国大会。あと1勝で全国大会(横浜スタジアム).がしかし結果は準優勝。全国まであと1歩というところで手が届きませんでした。 悔しい…試合に負けて涙が出たのはこのときが初めてだったと思います。がしかしそれと同時に必ず全国に行くという思いが沸々と湧いてきたのです。そのおかげで高校、大学と全国を経験する事が出来ました。これも徳山クラブでの経験があってこそのものだと心から感謝をしています。 幸い現在も高校野球の指導者として野球に携われています。長野先生をはじめとする指導者の方々から様々な事を教えていただき、また徳山クラブというチームから様々な事を学ぶ事が出来ました。自分の野球の原点と言っても過言ではありません。今後も周南クラブのさらなる発展、また人生を通して野球に携われる選手が増えることを願っております。 また、現役の選手の皆さんは野球が出来る事への感謝の心を忘れず1歩1歩新たな歴史を築いていってほしいと思います。 |
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中田 舞音(なかた まおん)
卒団生 周南クラブマネージャー (第1期) 現在 萩市立小川小学校教諭
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右端が中田さん |
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3年最後の瀬戸内大会 | 高校野球始球式(父と) | ||||||||||||||||||||
徳山高校ソフトボール部員当時 | 現在小学2年担任 | ||||||||||||||||||||
《周南クラブマネージャーとして》 中学2年生の時、徳山クラブ(当時)のスコアラーとして参加させていただいたのが、長野先生をはじめ、周南クラブの先生方との出会いです。チームでは練習の手伝いをしたり、スコアをつけて打率や投手成績をパソコンで集計したり、相手のデータをまとめたりしていました。選手と一緒に練習や試合、遠征に参加する中で、野球の技術だけではなくチーム内の人間関係づくりや社会における礼儀、親やまわりの大人への感謝の気持ちなど、たくさんのことを学びました。スコアラーとして受け入れてくださったことに、今も本当に感謝しています。次は私が、周南クラブで先生方から学んだかけがえのない財産を、教員という立場で子どもたちに伝えていきたいと思います。 |
平成27年第3回津田杯始球式
近間 謙一 (山口県立南陽工業高校野球部OB 元日本石油(ENEOS)硬式野球部 所属) 選手歴 現周南市立福川中学校軟式野球部投手(長野総監督の 1年先輩) 山口県立南陽工業高校野球部黄金時代エースとして投打に活躍(津田恒実投手の2年先輩) 社会人野球日本石油(ENEOS)投手として活躍 現在 横浜市の壮年軟式野球選手(2013年 全国マスターズ大会3位) |
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元福川中軟式野球部メンバー | 近間さんの娘さん姉妹とのショット |
『始球式の感想』 津田恒美の名を冠した少年野球大会である素晴らしい大会において、希望溢れる目をした大勢の野球少年の前で投げる、なかなか出来ない体験をし楽しかったです。マウンド上では高校時代(津田恒美の事等)を思い出し懐かしくて嬉しかったですし、私が子供の頃はこの様な素晴らしい大会も無かったので羨ましい(恵まれてるな)とも思いました。野球をしている子供達には何年たっても野球が好きなままでいて欲しいです。特に、この大会に出場した子供達は。最後に、始球式の場を与えて下さった関係者の皆様には感謝しております。ありがとうございました。
『高校野球に対する思い』 高校野球は”楽しんだ”で終わる事が一番。スポーツには夢や目標が付きもので、高校野球も各学校により違った夢や目標があります。入学から卒業までの3年間を同じ夢・目標で終える場合もあれば毎年変わる場合もあります。個人の夢や目標も同様だと思います、が野球は団体競技なので同じ夢や目標を共有する仲間が何人か出来ます。その仲間達とは、励ましたり喧嘩をしたりもしますがお互いを思いやる気持ちが出てきて結束が強くなっていきます。野球の結果以上にそんな仲間達といかに過ごしたかが大事だと思います。この様な貴重な経験が出来るのが高校時代で後の人生で必ず生きてくるはずです。 別な意味で感じた事がありましたので追記します。・・・私的感想です。周りの大人(親)が応援に夢中になりすぎると、子供達は一生懸命(夢中)になり頑張りすぎるので、適当に抜くとこは抜く(要領の良さ)を教える事も必要では? |