周南クラブ TOPICS 氏名をクリックしてください。 |
周南クラブを卒団した生徒や関わった人の話題を提供しています。月に一度いろいろなテーマで掲載しています。
令和6年11月は徳山商工高等学校の桐山翔伍君です。
令和6年 | ||||||||||||||||||||||||
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令和3年 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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令和2年 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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平成31年・令和元年 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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平成30年 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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平成29年 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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平成28年 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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R6.11月 TOPICS |
桐山 翔伍(きりやま しょうご)
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『周南クラブで学んだこと』 桐山 翔伍 周南クラブでは、野球の技術はもちろん挨拶や礼儀を学び、人として成長することができました。 長野先生からは学校生活や私生活の大切さを学び、野球のプレーや野球に対する意識が変わりまし た。高校でも学校生活や私生活を大切に日々の練習を頑張ると、大会でもいい結果につながりまし た。野球を通して学んだことをこれからも生かして頑張りたいと思います。 |
R6.10月 TOPICS |
白井 彰一(しらい しょういち)
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『周南クラブで学んだこと』 白井 彰一 僕は周南クラブで多くのことを学びました。特に野球の面で言うと、「派手なプレーは いらない」ということです。一人ひとりができることをして、チームが団結すれば、力の 差がある相手でも勝つことができることを経験し、野球の楽しさにより気づくことができ ました。また生活面では、挨拶、礼儀、友達を大事にすることが野球にもつながると学び ました。これらの経験を生かして大人になっても何事にも全力で頑張りたいです。 |
R6.9月 TOPICS |
先本 康太郎(さきもと こうたろう)
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前列右から2人目 右から6人目
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『周南クラブで学んだこと』 先本 康太郎 僕は周南クラブでたくさんのことを教わりました。その中で一番大切にしていたことは「何事にも全力」 で取り組むことです。野球のプレーでは全力疾走であったり、仲間に対する声かけなど全力で取り組む ことを学びました。自分は試合に出ている時だけ全力で取り組んでいればいいと勘違いしていましたが、 指導者に「プレーしていない時に試合に出ている人を全力でサポートできない人が試合に出てもいいプ レーはできない」と教わり、それ以降何事にも全力で取り組むことを心掛けてきました。自分はあいさつ であったり当たり前にすることが一番雑になっていたので、誰よりも当たり前のことを全力で取り組みま した。自分たちの代に何より一層色々なことに全力で取り組みました。最後の夏の大会では1回戦目に 3安打打つことができ、2回戦目は最後の打者で凡退となりましたが、今まで全力でやてきたこともあり 後悔はありません。また、周南クラブに入り、人としてもとても成長することができました。この野球人生 は一生の宝物です。僕は高校卒業後就職します。次のステップに向けて「全力」でがんばります。 |
R6.8月 TOPICS |
中野 爽太(なかの そうた)
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『周南クラブで学んだこと』 中野 爽太 僕が周南クラブに入って学んだことは「人間性」です。自分に甘く、学校生活が乱れてしまっ ていたとき長野先生に野球人は応援される人でないとだめ、と言われ、僕は高校野球生活の2年 半は学校の先生方や周りの人に応援される選手を目指して、野球はもちろん、学校生活も大切に してきました。 また、他校の生徒と共に野球をしたことで、今までにはなかったライバル心が芽生えました。 ライバルと共に競い合い、試合に勝利したときの充実感や喜びは野球でしか味わえないものだと 思いました。 僕は山口県立徳山商工高等学校に進学して、ピッチャーとして2年半活動しました。高校1年 生の時の新人戦、秋大とベンチに入ることができなくて悔しい思いをしました。そこからこれま で以上に日頃の生活やプレーを見直し、2年生の市長杯で初めての背番号を貰うことができ、春 大、夏大とベンチに入ることができました。新チームになっての、新人戦、秋大、夏大では初戦 で先発ピッチャーを任して貰うことができました。第106回全国高等学校野球選手権山口大会の 初戦で先発ピッチャーとして勝利できたことは、人生の一生の思い出です。僕は高校を卒業した 後は就職します。社会に貢献できる人間を目指します。 |
R6.7月 TOPICS |
荒木 悠晴(あらき ゆうせい)
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『周南クラブで学んだこと』 荒木 悠晴 私は周南クラブに入り、人として大きく成長することができました。長野先生からは学校生活 では挨拶・礼儀などを教わり、グラウンドの中では全力疾走、声を出すことを教わりました。教 わったことを実践することで、ひとつひとつのプレーが変わり、人として成長することを感じる ことができました。高校に入学してからはキャッチャーをしており、声を出すことの大切さを再 認識することができました。そして全力疾走は今でも忘れず継続しています。周南クラブで学ん ことを活かし、残りの高校野球に楽しく全力で取り組みたいと思います。
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R6.6月 TOPICS |
合田 賢太(ごうだ けんた)
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『周南クラブで学んだこと』 合田 賢太 僕は、周南クラブで「常に考え、実行すること」の大切さについて学びました。 周南クラブに入団して、試合に出場できない悔しさを味わい、試合に出場できるようになるためには 自分に何が足りないのかについて考えました。今の自分から変わるために、練習を一生懸命することは もちろんのこと、日常生活では誰かの助けになることをするなど、常に視野を広げて行動することを意 識しました。そして、野球面では、相手にスキを与えないような全力プレーを心掛け練習しました。こ れらの積み重ねによって、野球のプレーだけでなく、人としても成長することができました。この経験 から、改めて「常に考え、実行すること」の大切さを実感しました。 徳山高校2年生の夏、第105回全国高等学校野球選手権記念山口大会で36年ぶりのベスト4になりまし た。西京スタジアムでの大声援を受けながら行った試合は、かけがいのない経験となりました。今年の 夏は、主将としてチームを引っ張り、一戦一戦全力で頑張ります。 いつも元気な声で、考動力の大切さなど様々なことを教えてくださった長野先生。 栄養面や体のメンテナンスに尽力してくださった児玉先生。 そして多くのサポートをしていただいた方々に心から感謝しています。 これからも教えていただいたことを胸に刻み、さらに成長していきたいと思います。 |
R6.5月 TOPICS |
田中 海成(たなか かいせい)
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右から4人目
左から5人目
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『周南クラブで学んだこと』 田中 海成 僕が周南クラブで学んだことは常に全力でやるということです。野球に全力で取り組むことも 大事ですが、周南クラブでは特に日常生活を全力で取り組むことが大切だと教わりました。長野 先生に「いい当たりが正面に飛ぶのは日頃の生活が悪いから」と言われてから野球も学校生活も 遊びも常に100%をモットーにして取り組みました。 また周南クラブでは「みんなから好かれるような人になれ」とよくミーティングで言われまし た。みんなから好かれようと思えば自分の行動もよくなるし、社会人になってから上司に好かれ ることでわからないことを教えてもらったりするからです。だからこれからの日常生活でも人か ら好かれるような人になりたいと思いました。 周南クラブでは心身ともに成長することができました。残りの高校野球もこれからの日常生活 も周南クラブで学んだことを活かしてがんばります。 |
R6.4月 TOPICS |
長井 敦也(ながい あつや)
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前列 右から4番目 前列 右から5番目 |
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『周南クラブで学んだこと』 長井 敦也 僕は、中学1年生から3年間周南クラブで活動して、長野先生や指導者の方々から多くのことを教わり ました。そのなかで僕が最も大切にしてきたのは「応援される人になりなさい」とう言葉です。 僕は、応援される人になれるよう、いつも目の前のことに一生懸命取り組むということを心掛けてきま した。野球のプレーだけでなく、声出しや整備、また野球以外の学校生活などにおいても、そのことを意 識してやってきました。周南クラブの活動と学校のテストや行事などが重なって忙しいときには、正直怠 けそうになることもありました。でも自分のやりたいことだけやっても、応援される人にはなれないと考 えて、苦手なことやしんどいことからも逃げないようにと取り組んできました。 この春からは、希望していた学校に進学し、野球も続けるつもりです。これからは、もっと忙しくなっ て、うまくいかないことも増えると思います。それでも、引き続き目の前のことに一生懸命に取り組んで いきたいと思います。そしてこれまで応援し、支えてくださった方々に、もっと成長した姿を見てもらえ るようにしていきたいです。 |
R6.3月 TOPICS |
井野 太希(いの たいき)
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右端 前列中央
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『周南クラブで学んだこと』 井野 太希 自分が周南クラブで学んだことは仲間の大切さです。辛いこと、楽しいことを好きな野球を通して、 仲間たちとたくさんのことを学ぶことができました。社会に出ても学んだ経験は役に立っていると 思います。そしてその仲間は自分にとって今でもとても大切な存在になっています。 最後に、長野先生をはじめ、指導者、保護者の方々本当にありがとうございました。 |
R6.2月 TOPICS |
寺尾 文皓(てらお ふみあき)
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左から2番目
前列左から3番目
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『周南クラブで学んだこと』 寺尾 文皓 周南クラブでの活動を通して自分にできることを探して行動すること、謙虚に真面目に頑張ることの大切さ を学びました。試合に出場することは少なかったですが、ベンチにいても学ぶことは多く、野球の流れを知り、 野球そのものが面白いと思うようになりました。チームメイトの力で全国大会に出場することができ、たくさん の良い経験をさせていただきました。周南クラブに入団することができて本当によかったです。
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R6.1月 TOPICS |
中川 椋介(なかがわ りょうすけ)
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後列左から3番目
前列左から4番目、白の上下服
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『周南クラブで学んだこと』 中川 椋介 周南クラブに入ろうと思ったきっかけは、同年代の上手な選手の中に混ざってプレーすること に魅力を感じたからです。自分より体が大きくないのにボールを遠くへ飛ばす選手や自分より遥 かにボールを強く投げれる選手を目の当たりにして、すごく刺激的でした。 当時の自分は野球だけできれば良いという安易な考えを持っており、学業などを大変疎かにし ていた頃でした。そんな私が人生の転機だと今思うのは周南クラブへの入団だと思います。野球 の上達はもちろんですが、何より人間形成という部分に重きを置いて指導されており、挨拶を始 めとする礼節や人を思いやることを学び、人として大きく成長できました。 数年前に愛媛県から山口県に戻ってきて、周南市にて働いています。生まれ育った周南市に微 力ながら貢献し、共存共栄していきたいと思っています。 最後になりますが、私を人間として大きく成長させてくれた周南クラブ、私の人生を変えてく れた長野先生には感謝しかありません。私たちがいつも当たり前に周南クラブとして活動できて いたように、これからまだまだ夢と希望に満ち溢れた周南市の学生が、なに不自由なく野球がで きるように微力ではございますが支援させていただきたいと思います。
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R5.12月 TOPICS |
古澤 翔(ふるさわ しょう)
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『周南クラブで学んだこと』 古澤 翔 ぼくが周南クラブで学んだことは「仲間の大事さ」です。ぼくは、須々万でしか野球をしたことがなく、 小学校から同級生の仲間は、自分を含め2人でした。いつも野球をする時は先輩か後輩の力を借りる ことが多く、時には他のチームからメンバーを借りることがありました。しかし、周南クラブに入ったこと により同級生の仲間が14人に増えました。周南クラブでは、出場する機会が少ない時があっても仲間 と同心協力しながら、一緒に頑張りました。あの時、あの仲間がいなかったら野球が楽しいと心から 思えていなかったので、同級生の仲間にとても感謝しています。 この周南クラブで学んだ「仲間の大事さ」をいかしてこれからも頑張りたいと思います。
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R5.11月 TOPICS |
福田 陽平(ふくだ ようへい)
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『周南クラブで学んだこと』 福田 陽平 僕は小学3年生から高校まで野球を続けてきました。 周南クラブでは仲間の大切さを学びました。 僕は副キャプテンを任されましたが、仲間のみんなに支えてもらいながら活動することができました。 試合に出場できる回数は少なかったですが、切磋琢磨してきたことや、声を掛け合いながらプレーすることができました。 これは仲間がいないと活動することができなかったことなので、最後まで楽しく本気で取り組むことができました。 高校野球最後の夏の選手権山口大会では準優勝することができました。 この周南クラブで仲間達と出会い学んだことを生かしてこれからも日々努力していきます。
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R5.10月 TOPICS |
岡崎 遥希(おかざき はるき)
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『周南クラブで学んだこと』 岡崎 遥希 僕が周南クラブで学んだ事はたくさんあります。その中でも、「考動力」では、 ただ野球をするのではなく、チームの事を常に考えて行動する力をつける事ができ、 高校では自然と出来るようになっていました。そして、他校のたくさんの仲間と出 会い、今は別々の道を歩んでいますが、今でも会えば思いっきり笑い合える最高の 仲間です。 周南クラブで長野先生や指導者の方々に教えて頂いたお陰で、高校では 甲子園に出場する事ができ、ヒットを打つ事も出来ました。 周南クラブで過ごした 日々は、野球の技術だけでなく、人として成長できると思います。 |
R5.9月 TOPICS |
原田 宏哉(はらだ あつや)
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『周南クラブで学んだこと』 原田 宏哉 僕は中学二年生の時に周南クラブに入部しました。 初めは"技術さえあれば何とかなる"と安易な気持ちで入部しましたが、スポ少時代から同級生が多 いチームで野球をしたことがなかった僕にとって、同じ目標をもった仲間たちと切磋琢磨できるこの 環境は、次第に必要不可欠なものとなっていきました。何故なら、周南クラブでは高校野球に繋げる ための本当の技術だけでなく、あいさつや礼儀、私生活から見直す精神力を育ててもらったからです。 同じ中学から入部した部員はおらず、最初は不安でしたが、プレーを通して友情が芽生え、今では 唯一無二の親友もたくさんできました。高校野球を終えた今、自身の野球生活を振り返り、周南クラ ブで野球をさせてもらうことができて本当に良かったと思っています。 |
R5.8月 TOPICS |
伊賀 雄梧(いが ゆうご)
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前列 右端 |
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『周南クラブで学んだこと』 伊賀 雄梧 僕は、中学2年の夏から周南クラブに入部し、活動してきました。技術的なことはもちろんですが、 挨拶、礼儀、全力疾走、仲間の大切さを学ぶことができました。当時、僕はなかなか試合に出れずに 悔しい思いもありましたが、仲間に恵まれて、苦しいことばかりではなく、楽しいこともたくさんあ りました。そんなチームの雰囲気に、今は弟も周南クラブで頑張っています。 高校野球では、周南クラブで学んだことが活かせてきたと思います。先日の選手権大会を最後に引 退しました。結果的にはかなり悔しい試合でしたが、自分なりの力を最後まで出し切り後悔はありま せん。 今まで僕の野球人生に関わっていただいた方々、監督をはじめとする指導者のみなさまへの感謝の 気持ちを一生忘れずに、これからの人生を歩んでいきたいと思います。
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R5.7月 TOPICS |
六郎万 悠人(ろくろうまん ゆうと)
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『周南クラブで学んだこと』 六郎万 悠人 僕が周南クラブで学んだことは、「全力疾走」の大切さです。周南クラブでは、技術の向上だけでなく 全力疾走などの面でも成長することが出来ました。また、児玉先生の栄養教室でのお菓子と清涼飲料 水を禁止することの大切さも学びました。そのことを野球人生に生かすことで1プレイヤーとして成長する ことが出来ました。今の中学生には人の教えを素直に聞いて実践することが野球が上手くなる1番の近 道だと思うので頑張ってください。周南クラブで学んだことは今後の野球人生でも大切だと思うので継続 していきます。 |
R5.6月 TOPICS |
奥村 拓真(おくむら たくま)
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『周南クラブで学んだこと』 奥村 拓真 僕は小学校から野球を始め、現在光高校で野球を続けています。光高校では念願の甲子園出場を果たし、 目標であった校歌を歌うことができました。中学時代、周南クラブではコロナの影響で野球ができない時期を経験 しました。しかし、その中でも周南クラブを通してたくさんの人に出会うことができ、自分で考えて行動する『考動力』 を学びました。また、好きな野球ができることが決して当たり前ではないということも痛感しました。好きな野球、やり たい野球ができる環境があるのは、その環境に多くの人たちが関わり、そのお陰で僕たちが、野球ができるのだと思 います。だからこそ、今まで僕の野球人生に携わっていただいた方々に感謝の気持ちを忘れず、高校最後の夏の 大会を全力で頑張ります。
最後に長野先生をはじめとする指導者の方々から多くのことを教えていただき、本当にありがとうございました。 |
R5.5月 TOPICS |
水津 将太(すいづ しょうた)
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『周南クラブで学んだこと』 水津 将太 自分は周南クラブで技術面、精神面様々なことを学びましたが、特に「考動力」について学んだことは大きな成果でした。 野球はもちろん、日常生活でも考えて行動する力というのは大事で、自分が今置かれている立場、状況をしっかりと把握する ことができ、更なる成長へつながりました。たとえ試合に出られなくても「口動力」で全力応援する事や、今自分にできる考 える力を多く学んだ事で素晴らしい仲間、恩師に恵まれ光高校で甲子園出場が叶い、目標であった校歌を歌う目標が達成でき たと思います。周南クラブで学んだ事をこれからも生かして、更に上を目指して頑張っていきます。 最後に、長野先生を初めとした指導者の皆様、保護者の皆様には大変お世話になりました。これからもご指導お願いいたし ます。 |
R5.4月 TOPICS |
藤井 啓輔(ふじい けいすけ)
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『周南クラブで学んだこと』 藤井 啓輔 自分は周南クラブのモットーでもある『全力疾走』で大きく成長できました。自分は周南クラブに入団から卒団そして今まで 『全力疾走』という一つの事を習慣づけて続けています。それが今の自分を作っていると思います。また、中学三年生で大きな 怪我をして野球ができない環境になった時も『全力疾走』という一つの習慣を続けたことで、自分は腐ることなくその怪我を前 向きに捉える事が出来ました。なので皆さんには、伝えたいことは自分の場合『全力疾走』という事でしたが、そういう一つの 小さな事を続け、積み重ねていき自分を律することで未来の自分自身の土台につながると思います。その土台は高校野球の多く の場面で生かされました。例えば“続ける・継続”という視点で見た時、一つの課題に対して1日2日ではなかなか克服できな いけれど、基礎練習をやり続け長い期間の中で成功を見据えて取り組むことで課題や弱点を克服する事が出来ました。その結果、 打撃の技術向上につながり、試合でチームの勝利に貢献する事が出来ました。 また、自分は先日第95回記念選抜高校野球大会に出場しました。光高校の念願でもある甲子園での一勝を果たせましたが3回戦 で山梨学院に敗れ大きな悔いが残ります。この悔しさをバネに夏もう一度甲子園出場を果たし1つでも多くの勝利を目指して頑張っ ていきます。長野先生をはじめとする周南クラブスタッフの方々から野球を通じて多くの事を学びました。それが今の自分につな がっています。周南クラブで過ごした日々は自分にとって宝物です。本当にありがとうございました。 |
R5.3月 TOPICS |
長弘 海斗(ながひろ かいと)
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『周南クラブで学んだこと』 長弘 海斗 小学校から高校まで野球を続けることができて幸せでした。 特に高校野球では、監督やコーチそして素晴らしい仲間に出会えたこと、 いろいろな経験をさせてもらったこと、充実した3年間でした。 慣れない寮生活やコロナでの行動制限もあり、大変なことが多かったけど、 自分ではすべてが、これからの人生で生きてくるものと思います。 いつも励まして応援してくださった長野先生、指導者の皆様、本当にあり がとうございました。
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R5.2月 TOPICS |
長井 謙介(ながい けんすけ)
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左端 前列右から2人目 前列左から3人目
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『周南クラブで学んだこと』 長井 謙介 僕は1年生から周南クラブで活動してきました。チームメイトはみんな守備が上手だったり、遠くまで打球を 飛ばせたりする人ばかりでした。そんななか、体が小さく守備も下手くそな自分は、どうやったらチームの役に 立てるか、ずっと考えてきました。 そして、僕が出した答えは、「人の何倍も練習すること」と「いつも前向きで明るく元気でいること」でした。 必死に練習したことで、少しずつ試合に出してもらえるようになり、活躍できたこともありました。また、自分 のプレーがうまくいかなくても、チームが負けていても、常に大きな声や全力疾走、明るい振る舞いを心掛けて きました。そうすると、自分自身もチーム全体も、自然と乗っていけることが多くありました。 これからも、いろんな困難なことがあると思いますが、周南クラブで学んだことを生かしながら一生懸命がん ばっていきたいです。
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R5.1月 TOPICS |
梛野 真吾(なぎの しんご)
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前列左から4人目
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『周南クラブで学んだこと』 梛野真吾 周南クラブに入団し、僕は大きく成長しました。一番は「人として成長する」ことができました。そこで「人として成長する」って何だろうと考えて みました。そして自分の中で出た答えが「人から愛される」ことでした。 野球というスポーツは団体競技で、仲間との信頼関係を築き上げていかないと勝つ事は出来ません。さらに保護者の方々のサポートや応援 があるからこそ頑張れます。このように信頼や応援される事は人に愛されていないと出来ないことだと思います。 僕はこれから高校に行き高校でも野球を続けます。周南クラブで培った経験を活かし、新しいコミュニティに行っても全力で頑張ります。
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R4.12月 TOPICS |
田中 佑樹(たなか ゆうき)
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左側 前列左から5人目
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『周南クラブで学んだこと』 田中 佑樹 兄が周南クラブで、全力疾走・全力プレーで楽しそうに野球している姿に憧れて意識の高い仲間と野球したいと思い入団しました。 周南クラブでは、キャプテンを任せられ自分の結果だけでなくチームをまとめ、盛り上げる難しさを経験しました。自分自身の結果 が良い時も・悪い時も今の自分に何が出来るか考える事、試合の流れを掴む事の大切さを学びました。高校に行っても野球を続けます が、周南クラブで学んだ元気な挨拶・礼儀そして全力プレー、考えた野球を行い、周南クラブの卒業生として誇り持って同じチームで 頑張った仲間に負けない様に、これまで以上に努力をして頑張ります。
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R4.11月 TOPICS |
松岡 健ノ介(まつおか けんのすけ)
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『周南クラブで学んだこと』 松岡 健ノ介 周南クラブに入り、長野監督から教えて頂いたことは、
高校野球でも周南クラブで学んだことを忘れることなく継続しました。 高校野球では、コロナ渦で野球をする時間の制限や遠征の機会が減り残念なこともありましたが、 それ以上に野球のできる喜び、チームメイトとの出会いに感謝しています。 周南クラブで学んだことや高校野球で経験したことを社会人になってもいかしていこうと思っています。
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R4.10月 TOPICS |
古西 雄大(こにし ゆうだい)
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『周南クラブで学んだこと』 古西 雄大 僕が周南クラブで学んだこと。 一つ目は、仲間の大切さです。僕がピッチャーをしていた時どんなに打たれてもしっかりと守ってくれ、「大丈夫!思いきり投げろ!」と 大きな声で励ましてくれる仲間達がいつもそばにいてくれました。仲間とはお互いを高めあったり慰めあったり励ましあったり出来る、 とても大切なものだと学ぶことができました。 二つ目は、何事にも全力で取り組むことです。野球ではいろいろな役割があります。高校では一塁コーチャーという役割の中でチーム が勝つために自分が今できることは何か、どうすればチームに貢献できるのかを全力で考え努力するようになりました。周南クラブでは 「考動力」という言葉を大事にし、一つ一つの動きすべてを全力で行うことの大切さを学びました。 周南クラブで学んだことを活かし、これからさらに成長できるように努力していきたいです。 |
R4.9月 TOPICS |
谷口 永翔(たにぐち はるか)
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『周南クラブで学んだこと』 谷口 永翔 自分は周南クラブではずっと2番手、3番手投手でした。高校に入ってからは周南クラブで学んだ礼儀や挨拶、日常生活のことを 大事にし始めると自然に技術が向上しエースナンバーを頂く事が出来ました。夏の大会ではあと一歩の所で負けてしまいましたが、 これからの大学生活、社会人生活では周南クラブで学んだことを継続していこうと思います。
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R4.8月 TOPICS |
升田 早人(ますだ はやと)
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『周南クラブで学んだこと』 升田 早人 私は周南クラブで技術はもちろん、「感謝」の大切さを学びました。野球を教えて下さるコーチの方々、 自分たちのサポートをしてくださる保護者の方々がいないと思う存分に野球をプレーできません。 チームに携わるすべての方々、野球ができる環境に「感謝」し、応援される人間に成長していきます。
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R4.7月 TOPICS |
宗東 愛輝(むねとう あいき)
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『周南クラブで学んだこと』 宗東 愛輝
私は周南クラブで、野球の技術だけでなく、挨拶や礼儀、日常生活の態度など野球を通して多くのことを学びました。 その中でも、自分で考えて動く力『考動力』が身につき、人として成長することが出来ました。残りの高校野球生活や その先の将来でも周南クラブで身につけた『考動力』を活かしていきたいと思います。
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4.6月 TOPICS |
末次 正宗(すえつぐ まさむね)
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「サードコーチャーの大切さ」 末次 正宗 憧れの周南クラブに入ったものの走攻守、特に秀でたものはなく、レギュラーにはなれませんでした。でも、サードコーチャーは誰にも負けない自信があったので率先してサードコーチャーをやっていました。コーチャーでベンチからの指示を皆に伝え、より野球を知ることができました。誠英高校に入り、三年春でエースナンバーを獲得しました。一つのことを信念をもって貫き通すことで結果がついてくると知りました。これからも周南クラブで学んだことを継続し後輩に伝えていきたいと思います。
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R4.5月 TOPICS |
原 未来(はら みらい)
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『周南クラブで学んだこと』 原 未来
私は周南クラブに入り、技術の向上だけでなくチームとしてのまとまりの大切さについて学びました。私が初めて周南クラブの試合を観に行った際、試合に出ている選手だけでなく、ベンチメンバーも全力疾走・全員野球を完璧に行っているのを目の当たりにして、ここで野球をしたら必ず高校野球、これからの人生に繋がる良い経験となる!と思い、入部することを決意しました。 |
R4.4月 TOPICS |
三浦 拓登(みうら たくと)
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『周南クラブで学んだこと』 私は、中学校から野球を始めて、二年生の夏にセレクションを受け、周南クラブに入りました。
周南クラブでは、野球の技術だけでなく、チーム全員で戦うことを学び、バット引きやコーチャーなどのベンチワークも全力で行ない、静岡での全国大会にも出場でき、大変良い経験をさせて頂きました。 |
R4.3月 TOPICS |
森谷 葵(もりたに あおい)
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後列一番右
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左から4人目
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前列一番右
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『周南クラブで学んだこと』 |
R4.2月 TOPICS |
岡松大暉(おかまつ だいき)
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『周南クラブで学んだこと』 |
R4.1月 TOPICS |
魚谷俊輔(うおたに しゅんすけ)
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『周南クラブで学んだこと』 |
R3.12月 TOPICS |
河村 真斗(かわむら なおと)
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『周南クラブで学んだこと』 私が周南クラブで学んだことは考動力です。私は、周南クラブに入る前は試合のポイントなどが分かっておらず試合でチームに迷惑をかけてしまうことがありました。周南クラブで色々なことを経験させていただくなか、「考動力」が身につき試合の流れを大事に考えてプレーするようになりました。また、長野先生をはじめとするコーチ、先生の皆様には野球の技術だけではなく野球に対する姿勢、周りへの感謝、人としての在り方などたくさんのことを教えていただきました。これからも周南クラブで学んだことを生かせるように頑張りたいと思います。 |
R3.11月 TOPICS |
渡辺 楓也
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『周南クラブで学んだこと 私は、周南クラブで野球の技術だけでなく野球に対する姿勢、人としての在り方など、沢山の事を教えていただきました。特に、私は全力疾走で成り上がったと言っても過言ではありません。何事も全力で取り組むことで何かを掴む事が出来ると教えていただいたのもこの周南クラブです。長野先生、指導者の方々、両親には心から感謝しています。野球も終わり、就職も決まりましたので、これからは周南クラブで学んだ経験を活かし、何事にも全力で頑張りたいと思います。 |
R3.10月 TOPICS |
西村栞太(にしむら かんた)
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『周南クラブで学んだこと 僕は周南クラブで技術を向上させることができましたが、それよりも人間性を良くすることができました。長野先生には常に「周りの人達の支えがあるから今の自分がいる」と言われ感謝の気持ちを持って野球を続けてきました。高校生になると周南クラブで言われてきた事がとても大事なことなのだと思いました。大学でも野球を続けるので周りに感謝して、謙虚な気持ちを持って次のステージで頑張りたいと思います。 |
R3.9月 TOPICS |
八木 皓紀(やぎこうき)
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最前列賞状を持っているのが八木選手
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『周南クラブで学んだこと
野球を通して、全ての物事を楽しんで行うということを学びました。特に周南クラブでは、全力で取り組むこと、考動力を学びました。周南クラブでは、キャッチャーで加入しましたが、サードやセカンドも経験しました。体も小さく、走るのもあまり速くなかった私は、周南クラブの試合ではスタメンで出場したことは殆どありませんでしたが、一緒に加入した仲間たちと全力で野球を楽しむことで、代打のチャンスをいただいて出場し、良い結果を出せたこともありました。こうして野球がますます楽しくなりました。楽しむことで辛いこともプラスに捉えて成長に繋がっていったと思います。 |
R3.8月 TOPICS |
木虹汰(たかぎこうた)
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『周南クラブで学んだこと
私は、周南クラブに入り、何事にも欲を持ち、努力する大切さを学びました。須々万中学校の時は毎試合出場するのが当たり前で、天狗になっている部分もありました。しかし、周南クラブに行くと、試合すら出ることも出来ず、ただひたすらに悔しい時間がすぎていきました。中2の秋に全国大会が決まり、まずは、全国大会でエースとして先発しようと思い、トレーニングを積んで来ました。私は、長野先生に努力した事など1度も言っていないにもかかわらず、「努力したんなら、結果出てこい」と言われたことを覚えています。そして、全国大会で先発することが出来ました。なので私は努力は本当に裏切らないなと実感出来ました。 |
R3.7月 TOPICS |
田中颯真(たなか そうま)
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前列左から3番
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前列一番右
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前列右から2番目
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『周南クラブで学んだこと 何事にも「平常心」の心をもって取り組むことです。 |
R3.6月 TOPICS |
宮川広太郎(みやかわ こうたろう)
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『周南クラブで学んだこと』 私は周南クラブに入り、意識の高い仲間たちと切磋琢磨する中で、 |
R3.5月 TOPICS |
石崎優一(いしざき ゆういち)
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後列右から三番目
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最後列右から2番目 |
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『周南クラブでまなんだこと』 周南クラブで学んだことは何事も全力で行うということです。 |
R3.4月 TOPICS |
高松佑樹(たかまつ ゆうき)
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後列 白のユニホーム |
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『周南クラブでまなんだこと』 自分はもともと野球が大好きというほどではなかったのですが、周南クラブでプレーすることによって考えて行動する「考動力」が身につき日頃していなかった自主練習なども高校に入ってすることが増え野球に対する向き合い方が変わりました。今はコロナ禍でなかなか活動することができていませんが今できることを考えて行動できるように頑張りたいと思います。 |
R3.2月 TOPICS |
米野悠大(めの ゆうだい)
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後列右端 |
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後列右から2番目
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2列目右 端 |
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『周南クラブでまなんだこと』 私は、小学校3年生から野球を始めました。そして、レベルの高い選手と野球をし、上手くなりたいと思いセレクションを受けました。周南クラブでの活動を通して、野球の楽しさや、学校生活を正しく送る大切さを学びました。また、周南クラブの仲間と出会い、野球が出来たことは一生の財産です。 |
R3.2月 TOPICS |
羽野紀希 (はの かずき)
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最後列右から3番目
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『周南クラブでまなんだこと』 僕が周南クラブに入って学んだことはたくさんありました。 |
R3.1月 TOPICS |
中野 淳(なかの じゅん)
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岐山小学校 右から4番目
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岐陽中学校 3列左から2番目 |
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周南クラブ
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桜ヶ丘高校 |
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『周南クラブで学んだこと』 ・私は周南クラブに入団させていただいて、野球の技術向上の事はもちろんですが、 |
R2.12月 TOPICS |
北 村 祥(きたむら あきら)
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後列一番左 |
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2列目の右から5番目
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3列目の左から2番目
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2列目の右から2番目(黄色Tシャツ)
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『周南クラブで学んだこと』 私は、周南クラブに入ってたくさんの試合を経験していくなかで試合の流れを考えてプレーすることができ、高校野球でも活かすことができました。また、高校野球ではレベルの高い選手がたくさんいる中で切磋琢磨することができとても良い経験をさせていただきました。野球は、日頃の生活がプレーにでてしまうということを学び、今でも自分に任された役割は最後まで取り組むようにしています。そのおかげで粘り強くプレーすることができました。周南クラブで学んだことは今後の生活に活かしていきたいと思います。
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R2.11月 TOPICS |
上中 正琉(かみなか せいりゅう)
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後列左から3番目
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後列右から2番目
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『周南クラブで学んだこと』 私は各学校のレベルの高い選手と一緒に野球がしたく周南クラブに入りました。 |
R2.10月 TOPICS |
藤井 滉太(ふじい こうた)
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前列左から2番目
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後列右から3番目
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徳山商工高校 前列右から8番目 |
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『周南クラブで学んだこと』 私は小中学校ともに少人数でなかなか満足のいく練習が出来ていませんでしたが、周南クラブに |
R2.9月 TOPICS |
田中 啓太(たなか けいた)
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小学校 中学校
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前列右から2番目 |
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前列右から3番目 |
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高 校
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『周南クラブで学んだこと』 自分が周南選抜で学んだ事は、自分の役割を知ることが出来た事です。 |
R2.8月 TOPICS |
小野 滉平(おの こうへい)
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前列左端
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須々万中時代 |
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華陵高校 |
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『周南クラブで学んだこと』 私は、周南クラブに在籍して中学校の部活動ではなかなか体験できない質の高い練習や試合を肌で実感できました。ケガもあり、試合にでることは少なかったですが、長野先生をはじめとするコーチ、先生の皆さんには技術的な指導だけではなく、声の出し方や試合での重要な場面、流れなども教えていただきました。これらの経験は高校野球でもとても役に立ちました。
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R2.7月 TOPICS |
田村智輝(たむら さとき)
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2列目右端 |
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後列左端 |
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前列左から2番目 |
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『周南クラブで学んだこと』 私は追加セレクションでの入団で、周南クラブには5ヶ月間の在籍でした。 |
R2.6月 TOPICS |
村木 龍真(むらき りゅうま)
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前列の右から2番目 | ||||||
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『周南クラブで学んだこと』 私は周南クラブに入って良い経験ができ良かったと今でも思います。 |
R2.5月 TOPICS |
原田 陽太(はらだ ようた)
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周南ホークス
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周南クラブ
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周陽中学校 後列の左から3番目(秋季県体3位)
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ミレニアム大会
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全国大会 2列目長野監督の右隣
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『周南クラブで学んだこと』 僕が周南クラブで学んだことは自分の意志を持つことの大切さです。周南クラブに入ってから、友達に流されることが無くなり自分の意志で行動ができるようになりました。これは、周南クラブの「考動力」が身についたためと思います。 高校野球に向けて |
R2.4月 TOPICS |
福田 子龍(ふくだ しりゅう)
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『周南クラブで学んだこと』 周南クラブで学んだことは、試合に出ている9人だけでは勝てないということです。 |
R2.3月 TOPICS |
渡邉昂ェ(たかひろ)
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R2.2月 TOPICS |
村川貴音 (むらかわ たかなり)
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『周南クラブで学んだこと』 自分が周南クラブで学んだこととして、人と能力を比べる時「ここが他人に劣っている」と考えるのではなく、「他人よりここが勝っている」と考えれる力を身につけました。 |
R2.1月 TOPICS |
松岡 幹也 (まつおか みきや)
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左から4番目
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左から3番目
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最後列右から3番目
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『長野先生との出会いと周南クラブ』 「弟たちを頼むぞ、松岡!!」8月の暑いあの日、長野先生におっしゃられてから1年、 |
R1.12月 TOPICS |
竹本 圭吾(たけもと けいご)
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『周南クラブで学んだこと』 |
R1.11月 TOPICS |
藤井 陸矢( ふじい りくや)
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『周南クラブで学んだこと』
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R1.10月 TOPICS |
北村咲希 ( きたむら さき)
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『周南クラブで学んだこと』
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R1.9月 TOPICS |
原田 大成( はらだ たいせい)
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2列目右端が原田選手
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『周南クラブで学んだこと』
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R1.8月 TOPICS |
吉武 郁哉( よしたけ ふみや)
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『周南クラブで学んだこと』
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R1.7月 TOPICS |
三森 力也( みもり りきや)
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『 周南クラブで学んだこと』 私は、周南クラブで学んだことがあります。 |
R1.1.6月 TOPICS |
上河内 景太 ( かみごうち けいた)
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1列目右端
左 左端
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『 周南クラブで学んだこと』
私は野球を通じて、沢山の方々にお会いし、教えられ、学び、大変お世話になっています。周南クラブに出会えたことで、野球の技術は勿論ですが、地元の素晴らしい技術を持った友人達と切磋琢磨する強い心、そして何より関わりを持たせて頂いた方への感謝する心の大切さを学ぶ事が出来ました。
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R1.1.5月 TOPICS |
六郎万 翔 ( ろくろうまん かける)
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『 周南クラブで学んだこと』 私は、現在新南陽高校野球部でキャプテンをさせていただいています。
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H31.4月 TOPICS |
上野 聖哉( うえの せいや)
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前列左から2番目
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最前列右から2番目
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『 周南クラブで学んだこと』
自分は周南クラブに入って本当の野球の楽しさを知る事が出来ました。
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H31.3月 TOPICS |
村上 大地( むらかみ だいち)
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『 周南クラブで学んだこと』 私は野球を通してたくさんの人たちに出会い、お世話になってきました。
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H31.2月 TOPICS |
原田 裕介( はらだ ゆうすけ)
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2列目賞状の上中腰になっているのが原田さん
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最後列右から3番目が原田さん
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『 周南クラブで学んだこと』
「選抜チームのメンバーに選ばれた!」当時の中学校の野球部顧問より報告を受け、晴れて徳山クラブ(現 周南クラブ)の一員になることができました。その瞬間から今まで少年野球時代からずっとライバル関係だった他の中学校の選手と一緒のチームで野球をすることになりました。初めての練習日、紅白戦で投手として出場し秋月中の福山君(後に南陽工業に進み甲子園出場)とバッテリーを組むことになりました。「構えもどっしりしており捕球してからのテンポもよい。こんなに投げやすいキャッチャーがいるのだなあ!」という印象を持ちました。中学校という狭い世界で生きている当時中学生の自分にとって、一気に世界が広がったように感じたことを今でも覚えています。その後何度も一緒に練習していくうちに今まで話したこともなかった他の選手とも仲良くなることができ、その経験は後の高校野球や、社会人になってからの仕事にも生きているのではないかと思います。またこの時のチームは県大会で優勝することができ、その決勝戦で投手として出場させていただいたことは私の中では今でも自信と誇りとなっています。私の野球人生は高校野球まででしたが、今でも草野球や母校への練習の手伝いなどを通じて野球と携わらせていただいています。
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H31.1月 TOPICS |
磯村 拓未( いそむら たくみ)
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『 周南クラブで学んだこと』
当時の中学校の監督にセレクションを受けるように言われたのがキッカケでした。周南クラブに入団し、市内で実力のあるライバルとチームを組むことは刺激的でした。目指す目標を定め、それぞれの役割を担い自覚し、チームとしての形を作っていく、とても難しいことです。短い練習時間でいかに高め合えるか、考えて野球をしたことを思い出します。野球の楽しさはもちろん、考え、追求していくことを覚え、野球をする上での視野が広がりました。恵まれた環境で、指導者、両親の協力あって貴重な経験をしました。学んだことは多くありますが、一番は何不自由なく野球に打ち込めたことへ感謝しています。
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H30.12月 TOPICS |
兼平 陽生(かねひら はるき)
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最後列 右から4番目が兼平選手
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『 周南クラブで学んだこと』 |
H30.11月 TOPICS |
中谷 泰聡 (なかたに たいと)
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最前列賞状を持っているのが中谷君
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県旗を持って行進しているのが中谷君
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最前列中央が中谷君
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『1年間 周南クラブで学んだこと』 僕は、周南クラブ第9期のキャプテンとして入団しました。初めの頃は思うように指示が出せず、チームをまとめることができなく て、悩む日々が多かったですが、練習や試合を重ねるにつれ、仲間との信頼関係も築けて一緒に野球をすることが楽しくなりま した。その結果多くの試合に勝つことが出来ました。振り返れば、本当に最高のチームで活動できたと思います。 この一年、長野先生をはじめ多くの指導者の方々に、野球の技術はもちろん、技術では補えないチームワークの大切さ、試合 で活躍することよりも大事な態度や礼儀を学び、心身ともに大きく成長することができました。中国大会、全国大会出場、その他 多くの遠征で得た貴重な経験は、自分を次のステージに進めてくれる力になり、これからも自分の支えになってくれると思いま す。 長野先生をはじめ指導者の方々、支えてくれた家族、保護者の方々、地域の方々、野球関係者に感謝し、これまで野球ができ たこと、周南クラブで学んだことを忘れず、これから少しでも恩返しができるように努力していきたいです。 第9期周南クラブ主将
富田中学校 中谷泰聡 |
H30.10月 TOPICS |
吉冨 壮哉(よしとみ そうや)
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前列左から3番目
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《周南クラブで学んだこと》
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H30.9月 TOPICS |
山片 啓矢 (やまかた けいや)
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《周南クラブで学んだこと》
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H30.8月 TOPICS |
高松 政治 (たかまつ まさじ)
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高松 政治
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H30.7月 TOPICS |
有井 大芽 (ありい たいが)
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前列右から5番目
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2列目左より2番目(長野先生の横)
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前列中央で鶴を持っているのが有井選手
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有井 大芽
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H30.6月 TOPICS |
磯村飛鷹 (いそむら ひだか)
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H30.5月 TOPICS |
永冨 大輔 (ながとみ だいすけ)
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H30.4月 TOPICS |
河内 健貴( こうち たつき )
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前列右から4番目
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後列右から5番目
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H30.3月 TOPICS |
福田聖晟( ふくだ きよあき )
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周南クラブ第 2期 2列目左から2番目
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南陽工業高時代
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【周南クラブで学んだこと】 |
H30.2月 TOPICS |
山本一輝( やまもと かずき )
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〜学んだこと〜 |
藤井敬 大( ふじい けいた )
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『周南クラブから得たもの』 周南クラブでは、野球の技術だけではなく、挨拶や礼儀など野球以外のことができました。また、色んな選手たちと一緒にプレーできてとても良い経験をさせていただきました。 私は、周南クラブに在籍していた時は試合に出場する機会があまりなかったので、その時は「ベンチで声出し」「グランド整備」など野球をする上で大事なことを指導者の方にたくさん教えていただきました。また、恵まれた環境で出来たことや練習の送り迎えをしてくれた親への感謝を改めて感じることができました。 『これから』 野球をすることがなくなりますが「考動」を胸に野球から学んだことをこれから大事にして社会に貢献していきたいと思います。
藤井敬大 |
H30.1月 TOPICS |
五嶋 文弥 (ごとう ふみや )
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〈主将として…〉
五嶋
文弥 |
中村祐輝( なかむら ゆうき )
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小学校→2列目右から3番目
周南クラブ→3列目左から2番目
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高校→1列目右から2番目
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『野球をしている今が、大人の今を支える』 |
H29.11月 TOPICS |
廣本 岳 ( ひろもと がく )
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『1年間を振り返って 〜周南クラブで学んだこと〜』 |
山本真由( やまもと まゆ )
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【周南クラブで学んだこと】
私は野球をしている兄の影響で中学校から野球を始めました。周南クラブには、野球を始めて三か月の時からお世話になりました。その時の私にとっては、全てが初めてで、緊張と不安な気持ちでいっぱいでしたが、多くの方々に支えられ、たくさんのことを学ぶことができました。そして野球をしていくうちに、憧れだった野球がどんどん好きになっていきました。こう思えるのも指導して下さった先生方、チームメイト、そして野球をやらせてくれた両親の存在があったからです。野球を通してたくさんの人と出会い刺激を受けながら大好きな野球を出来たことが本当に幸せです。本当に感謝しています。これからは、何かの形で野球に携わり、周南クラブで学んだことを生かして野球をしている人の支えになれるように日々励んでいきたいと思います。
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H29.10月 TOPICS |
岸村祥太郎( きしむら しょうたろう ) 社会人野球ツネイシブルーパイレーツコーチ兼外野手
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後列右端岸村選手 |
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最前列右から3番目岸村選手
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先頭の右側岸村選手 |
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3列目左端岸村選手 |
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右端岸村選手
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【周南クラブで学んだこと】 周南クラブ(当時は徳山クラブ)では特に野球の楽しさを学ばせていただきました。中学時代は決して強いチームではありませんでしたが勝ったり負けたりと純粋に野球を楽しんでいました。徳山クラブに召集されてからは、今まで闘ってきたライバルたちと一時的ではあるが一緒のチーム。とてもワクワクしたのを覚えています。そんな徳山地区中学オールスターのようなチームでも全国大会には行けず、負けることもあるんだと野球の深さを知り、同時により野球の魅力、楽しさに気づけました。
【後輩に伝えたい事】
岸村 祥太郎 |
H29.9月 TOPICS |
浅田敦史( あさだ あつし ) 新南陽高校 硬式野球部 キャプテン
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【周南クラブで学んだこと】
私の野球人生は小学1年から高校3年夏までの約11年間でした。1番印象に残っている年は高校最後の1年間です。新南陽高校の主将を務めさせてもらいました。チームをまとめることの大変さを実感したり、チームが勝つためにどうしたら良いのかを考える日々が多かったです。チームが良い方向に進むためには時には自分を犠牲にしなくてはならないことを学びました。 浅田 敦史 |
津村航輝 ( つむら こうき) 徳山高専 硬式野球部 キャプテン
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【周南クラブでの経験】 |
H29.8月 TOPICS |
山本尚輝( やまもと しょうき) 周南市立富田中学校 軟式野球部(キャプテン 捕手)
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周南クラブ8期のメンバー
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【周南クラブで学んだこと】
周南クラブに入り、野球のことだけではなく、礼儀やあいさつなど生活面でも多くの事を学びました。また、自分と同じポジションの選手を見て、動きや指示の出し方等、自分の出来ていないところを学び、刺激を受けました。学校の部活動では出来ないような経験をたくさんさせていただきました。色々な面で成長できたように思います。周南クラブで学んだことを忘れず、今後に生かしていきたいです。 目標だった選手権大会出場を3年連続で決めることができ、とても嬉しく思います。予選で優勝できたのは、これまで指導してくださった先生方や応援してくださる皆さんのおかげだと思っています。とても感謝しています。僕は、この富田・鼓南中学校のメンバーが大好きです。この仲間と野球が出来るのもあとわずかです。選手権大会に向けてさらにチームワークを高め、チーム一丸となって頑張りたいです。そして、キャプテンとしてチームのために何が出来るか考えて行動しようと思います。今まで学んできたことをすべて出し切り、悔いが残らない試合をして、中国大会出場を目指したいです。
山本尚輝 |
村川天音 ( むらかわ ひろと) 周南市立秋月中学校 軟式野球部(キャプテン 捕手)
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【
周南クラブに入って学んだ事】 |
H29.7月TOPICS |
金田 将弥( かねだ しょうや) 山口県立徳山高等学校 硬式野球部(投手)
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【周南クラブでの経験】 |
藤谷 勇介 ( ふじたに ゆうすけ) 延岡学園高等学校 硬式野球部(投手)
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【
周南クラブを経験して】 |
H29.6月TOPICS |
長谷川 晃大( はせがわ こうた) 山口県立光高等学校 硬式野球部
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【周南クラブで学んだこと】 |
寶木 克樹( たからぎ かつき) 山口県立南陽工業高校 硬式野球部(内外野手、投手)
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【周南クラブを経験して】 |
H29.5月TOPICS |
宮木 蓮( みやぎ れん) 山口県立南陽工業高等学校 硬式野球部
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【今まで…】 |
河内 信穏( こうち しおん) 山口県立光高等学校 硬式野球部
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太華中時代
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周南クラブ時代 |
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【周南クラブでの経験】 光高校 河内 信穏 |
4月TOPICS |
山崎大輔( やまさき だいすけ) 南陽工業高卒 硬式野球部 九州共立大学進学 硬式野球部入部予定
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周南クラブ時代
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な
南陽工業高時代 |
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【周南クラブから学んだもの】 僕は、これまで野球をやってきて、学んだことがあります。それは、力が無くても、下手くそでも、結果が出なくても、夢や目標を一心に追いかけることが大切だということです。そうすれば、自然と周りには同じ夢を持った人が集まってきて、自分の力になってくれます。特に僕は、これまでの指導者やチームメイトには本当に恵まれていたと感じています。周南クラブも、その出会いができる場だと思います。これからも野球をさらに深く勉強していき、出会いを大切にしていきます!
僕は、中学校の卒業式の日に、仲間に「南陽工に行って甲子園に出ます。その時には応援に来て下さいと言いました。そして、本当にたくさんの仲間や、周南クラブでお世話になった方々等に応援をして頂きました。
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篠原秀平( しのはら しゅうへい) 徳山高校卒 硬式野球部 山口大学医学部医学科進学 医学部準硬式野球部入部予定
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卒業式後に徳山高校野球部全員で撮った写真
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富田中時代
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周南クラブ時代 |
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徳山高校時代
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【周南クラブを経験して】
篠原秀平 |
3月TOPICS |
弘 晃輔( ひろ こうすけ) 岡山大学1回生硬式野球部
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2列目右端が弘選手
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福川中時代
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周南クラブ時代 |
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徳山高校時代
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現在 岡山大学野球部 |
【周南クラブを経験して】 |
山門健人( やまかどけんと) 徳山 高専 専攻科1回生
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前列右から3番目が山門選手
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【周南クラブでの経験】
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2月TOPICS |
森山哲成( もりやま てつなり) 徳山 高専5回生硬式野球部キャプテン
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最前列 中央トロフィを持っているのが森山選手 右から2番目が岡選手
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【小・中学を振り返り】
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岡 直人(おか なおと) 徳山大学硬式野球部2年
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太華中時代
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周南クラブ時代 |
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徳山商工時代 |
徳山商工時代 |
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徳山大学
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【成人式を迎えて】
今年、私は成人式を迎えました。 |
藤本大輔(ふじもと だいすけ) 山口県立南陽工業高等学校硬式野球部
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周南クラブ時代 |
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南陽工業 |
南陽工業 |
【周南クラブで学んだこと】 私は、徳山大学に進学し、野球を続けます。そこでは新しいことばかりで不安が多いですが、周南クラブで学んだ「仲間を大切にすること」「先生の言葉を大切にすること」を続けていきます。そして、野球では全国大会へ出場できるように、学業では社会福祉士の資格を取ることができるように、日々を大切に頑張ります
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岡部莉久(おかべ りく) 徳山高専3年 硬式野球部
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周南クラブ時代 |
岐陽中 時代 |
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徳山高専 |
徳山高専 |
【周南クラブとの出会い】 |
藤谷洸介(ふじたに こうすけ) パナソニック 投手 祝 阪神ドラフト8位指名
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福永大輔( ふくなが だいすけ) 徳山商工高等学校野球部2年(二塁手)
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最後列右から6番目が福永選手 |
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【周南クラブで学んだこと】 周南クラブでは野球の技術だけではなく、挨拶などの野球以外のこともしっかりと学ぶことができ、且つ、高いレベルの選手たちと一緒にプレーできて、とても良い経験をさせてもらったと思います。 私は周南クラブに入った当初は、試合に出場する機会があまりなかったのですが、その時期に、『ベンチワークの大切さ』、『声を出すこと』、『グランド整備』、『感謝の気持ちを忘れないこと』等野球をする上で大事なことを指導者の方々にたくさん教えていただきました。今の自分があるのは、中学校の野球部だけでは経験できないことを、周南クラブに入ったことにより、たくさん経験ができた からだと思い、本当に感謝しています。 現在、周南クラブでプレーしている選手の皆さんには、ここで学ぶことは今後野球を続けるうえで大切なことばかりなので、今を大切に過ごしてほしいと思います。 【中国大会に向けて】 山口県の代表として恥ずかしくないような試合がしたいです。そして、一試合でも多く勝ち、徳山商工の新しい歴史を築いていきたいです。
福永大輔 |
小林由聖( こばやし ゆうせい) 華陵高等学校野球部1年(投手)
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最前列左から2番目が小林選手 |
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【周南クラブで学んだこと】
【中国大会に向けて】 |
10月TOPICS |
高橋祐稀( たかはし ゆうき) 周南市立岐陽中学校3年 軟式野球部キャプテン
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前列左から6番目が高橋君、後列右から2番目が原村さん | |||||||||||||||
【この一年を振り返って】 |
原村百那( はらむら ももな) 周南市立和田中学校3年
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最前列左から4番目が高橋君、右から2番目が原村さん | |||||||
【一年間を振り返って】
そして、私が野球を続けられたのは、監督、コーチ、チームメイト、両親のサポートがあったからこそと感謝してます。両親は忙しくても、送迎や応援をしてくれました。
原村百那 |
9月TOPICS |
河村竜也(かわむら たつや) 山口県立防府高校3年 野球部 キャプテン
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2列目右から5番目が河村選手 | ||||||||||||
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『周南クラブを経験して』
私は、周南クラブに選んで頂いたうえ、副キャプテンという役も頂き大変貴重な経験をさせていただきました。選抜チームで副キャプテンという責任のある立場になって、最初は不安でいっぱいでしたが、最後には自分らしい背中で引っ張る副キャプテン像を築くことができたと思っています。その経験のおかげで、防府高校ではキャプテンとして自信をもってチームを引っ張ることが出来ました。今では、副キャプテンに指名して頂いたことに感謝しています。
河村竜也 |
古森翔吾(こもり しょうご) 徳山高専3年 野球部 キャプテン
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2列目左から3番目が古森選手 |
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『周南クラブを経験して』
中学校の部活では味わえないレベルの高い環境で野球ができる周南クラブは、私に向上心を与えてくれました。周南クラブ内で目標の選手がいて、ライバルがいて、とても恵まれた環境だったと思います。
古森翔吾 |
堀家 拓馬(ほりけ たくま) 東京都小金井市立小金井第二中学校教諭
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周南クラブ当時の写真 2列目中央が堀家選手 |
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新南陽高校在籍時(1列目中央右が堀家選手)
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日本体育大学在籍時(2列目右から2番目が堀家選手)
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大学野球審判時の写真 |
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『野球が人をつくる』
『周南クラブ』で野球がしたい。市の選抜チーム。ナイターでの球場練習。遠征。中学校野球であるにも関わらず、すばらしい環境で野球ができることに憧れを抱いていました。長野功先生が総監督を務められていることも大きな励みとなりました。(長野先生は私が福川中学校に入学した時に赴任してこられました。) 堀家 拓馬 |
田中 來人(たなか らいと) 福岡 天神医療リハビリ専門学校理学療法学科
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『周南クラブから学んだこと周南クラブでの出会い』
周南クラブでは、野球の技術とともに、挨拶や規律といった野球以外のところでの学びが多くありました。野球以外の当たり前のことを当たり前に行うことが、野球人としての成長と技術の向上につながると気づかせていただきました。 田中 來人
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山田 夏輝(やまだ なつき) 山口県立新南陽高校3年 野球部 キャプテン
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中央で賞状をもっているのが山田選手 2列目右から3番目が末藤選手 |
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『周南クラブでの出会い』
南陽工業 山崎君 徳山高専 古森君 新南陽 山田君 徳山商工 中村君 防府 河村君 華陵 新本君 |
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末藤 将祐 ( すえとう まさひろ) 山口県立 岩国総合高校3年 野球部 キャプテン
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『周南クラブでの経験を生かして』 私は現在、岩国総合高校野球部でキャプテンをさせていただいています。 周南クラブでの経験は、自分の今までの野球人生の中で貴重なものだったと思います。他のチームの人たちと野球をすることで、視野が広がり高いレベルでプレーできたと思います。周南クラブでチームメイトだった人の活躍を聞くと負けられないなと思います。 周南クラブで現在プレーしている人たちは、とても貴重な経験をしていると思います。指導者の方々の助言を大切にして、自分のもにしてほしいと思います。 この夏の大会では、目の前の一戦一戦に全力を注ぎます。
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福山 史(ふくやま しろう)
卒団生徳山クラブ(第2期)キャプテン(現在 山口県立徳山商工教諭)
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最前列左から5番目賞状をもっているのが福山選手 |
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《周南クラブから学んだ事》 “甲子園に必ず出る&ス成9年徳山市の学校から20名の選出で始まった徳山クラブを経験して1番に私が感じた事です。何年後かに迫る高校野球を漠然としか考えていなかった私が南陽工業高校を選び、本気で甲子園に行きたいと決めさせてくれた時間でした。 今でも思い出す選抜チーム練習初日。徳山球場(現津田恒実メモリアルS)に集合しナイター練習。紅白戦をしました。ズバ℃рェ構えたミットに素晴らしい球がくるのです。 よし、この球で打ち取れるカーン♀ョ璧に打たれるのです。緊張感、レベルの高さ、今までに感じた事のない野球に対する感情が生まれました。上手くなりたい、ライバルに負けたくない、長野監督率いるこの素晴らしいチームで全国大会に行きたい。楽しくてしかたがありませんでした。山口県大会を優勝し中国大会。あと1勝で全国大会(横浜スタジアム).がしかし結果は準優勝。全国まであと1歩というところで手が届きませんでした。 悔しい…試合に負けて涙が出たのはこのときが初めてだったと思います。がしかしそれと同時に必ず全国に行くという思いが沸々と湧いてきたのです。そのおかげで高校、大学と全国を経験する事が出来ました。これも徳山クラブでの経験があってこそのものだと心から感謝をしています。 幸い現在も高校野球の指導者として野球に携われています。長野先生をはじめとする指導者の方々から様々な事を教えていただき、また徳山クラブというチームから様々な事を学ぶ事が出来ました。自分の野球の原点と言っても過言ではありません。今後も周南クラブのさらなる発展、また人生を通して野球に携われる選手が増えることを願っております。 また、現役の選手の皆さんは野球が出来る事への感謝の心を忘れず1歩1歩新たな歴史を築いていってほしいと思います。 |
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中田 舞音(なかた まおん)
卒団生 周南クラブマネージャー (第1期) 現在 萩市立小川小学校教諭
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右端が中田さん |
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3年最後の瀬戸内大会 | 高校野球始球式(父と) | ||||||||||||||||||||
徳山高校ソフトボール部員当時 | 現在小学2年担任 | ||||||||||||||||||||
《周南クラブマネージャーとして》 中学2年生の時、徳山クラブ(当時)のスコアラーとして参加させていただいたのが、長野先生をはじめ、周南クラブの先生方との出会いです。チームでは練習の手伝いをしたり、スコアをつけて打率や投手成績をパソコンで集計したり、相手のデータをまとめたりしていました。選手と一緒に練習や試合、遠征に参加する中で、野球の技術だけではなくチーム内の人間関係づくりや社会における礼儀、親やまわりの大人への感謝の気持ちなど、たくさんのことを学びました。スコアラーとして受け入れてくださったことに、今も本当に感謝しています。次は私が、周南クラブで先生方から学んだかけがえのない財産を、教員という立場で子どもたちに伝えていきたいと思います。 |
平成27年第3回津田杯始球式
近間 謙一 (山口県立南陽工業高校野球部OB 元日本石油(ENEOS)硬式野球部 所属) 選手歴 現周南市立福川中学校軟式野球部投手(長野総監督の 1年先輩) 山口県立南陽工業高校野球部黄金時代エースとして投打に活躍(津田恒実投手の2年先輩) 社会人野球日本石油(ENEOS)投手として活躍 現在 横浜市の壮年軟式野球選手(2013年 全国マスターズ大会3位) |
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元福川中軟式野球部メンバー | 近間さんの娘さん姉妹とのショット |
『始球式の感想』 津田恒美の名を冠した少年野球大会である素晴らしい大会において、希望溢れる目をした大勢の野球少年の前で投げる、なかなか出来ない体験をし楽しかったです。マウンド上では高校時代(津田恒美の事等)を思い出し懐かしくて嬉しかったですし、私が子供の頃はこの様な素晴らしい大会も無かったので羨ましい(恵まれてるな)とも思いました。野球をしている子供達には何年たっても野球が好きなままでいて欲しいです。特に、この大会に出場した子供達は。最後に、始球式の場を与えて下さった関係者の皆様には感謝しております。ありがとうございました。
『高校野球に対する思い』 高校野球は”楽しんだ”で終わる事が一番。スポーツには夢や目標が付きもので、高校野球も各学校により違った夢や目標があります。入学から卒業までの3年間を同じ夢・目標で終える場合もあれば毎年変わる場合もあります。個人の夢や目標も同様だと思います、が野球は団体競技なので同じ夢や目標を共有する仲間が何人か出来ます。その仲間達とは、励ましたり喧嘩をしたりもしますがお互いを思いやる気持ちが出てきて結束が強くなっていきます。野球の結果以上にそんな仲間達といかに過ごしたかが大事だと思います。この様な貴重な経験が出来るのが高校時代で後の人生で必ず生きてくるはずです。 別な意味で感じた事がありましたので追記します。・・・私的感想です。周りの大人(親)が応援に夢中になりすぎると、子供達は一生懸命(夢中)になり頑張りすぎるので、適当に抜くとこは抜く(要領の良さ)を教える事も必要では? |